§質問§

 仏教徒の家から正教の家庭へ洗礼を受け嫁いできた者です。永眠した実家の両親や、幼時から私を慈しんでくれた祖父母らのためにどう祈ればいいんですか。

<答え>

初代教会の信徒も悩んだはず
 キリスト教が国教だった時代と地域ではもちろんですが、今でも、国民の大半がクリスチャンである国々では、ほとんど起こらない悩みですね。しかし、使徒たちや初代教会が福音を異教的な社会へ宣べ伝えていた時代には、実に切実な問題だったはずです。現代日本のクリスチャンは、この初代教会と酷似した環境に生きており、常に福音的な考え方と態度で、物事に対処して行かねば「この世」の強い力に押し流されてしまいます。「なんとなくクリスチャン」では、まさに「なんとなく」クリスチャンではなくなってしまいます。逆に言うと、「キリスト教があたりまえ」の国々では味わえない、純粋な信仰体験を恵まれるチャンスもあるという事です。

祈るのは当然
 自分はクリスチャンだから仏教徒(異教徒)の家族や先祖のためには祈らない・祈れない、彼らのための祈りは「実家とお寺」(異教の礼拝)に任せておけばいいというのは、自然な感情からもキリスト教的にも間違いです。神さまはすべての人間を愛しておられ、神の子・ハリストスはすべての人間の救いのためにこの世に遣わされました。クリスチャンとは、その神の愛に応え「神と共に働く者(神の同労者)」(コリンフ後書6:1)となった者ですから、生者、死者を問わず、すべての人々の為に心をくだき祈る(記憶する)責任があります。まして肉親のために祈るのは当然です。正教会では「神を知らざる死者のための祈り」(教団発行「記憶録」57ページ所載)を定めています。これをぜひ毎日の祈りに加え、また教会に参祷・領聖し、聖パン記憶・パニヒダなどで記憶しましょう。

奉事や葬式の時
 ご実家で、葬儀や奉事がある場合は、列席は差し支えありませんが、仏教的(異教的)な礼拝行為は避けましょう。位牌や遺影に対する焼香は避け、心の中で、ハリストスのイメージを浮かべ、一礼して座に戻ればいいでしょう。これ見よがしにクリスチャンぶりを披露する必要もありません。要は、「宗教的無節操」と受け取られないよう、クリスチャンとしてのけじめを示し、同時に、他の宗教をまじめに信じている方たちへ失礼になるような行動は差し控えるという事です。「さすがクリスチャン」と好意と敬意を受けられるような節度や言動を、その時々の状況に応じ選択することが大切です。困ったら司祭に相談すしてください。