§質問§

 教会法という言葉をよく聞きますが、どんなものですか?

<答え>

古代教会の規則が今も生かされる正教会
 
 教会も組織である限り、その目的を達成し秩序を保つため必要な最低限の決まりが必要です。使徒の時代から七回の全地公会の時代(八世紀頃まで)に定められ、重んじられてきた規則が「聖規則書」にまとめられ、正教会の教会法(カノン・基本的な規定)となっています。日本でも明治31年に翻訳出版され今日でも用いられています。全部で500ページ程度の小さな本です。複雑な現代社会での信仰生活に、これだけの規則で、しかも古代の教会で用いられていたものをそのまま使って、対応できるのかといぶかる方がいるかもしれません。

信仰生活のガードレール

 しかしこれで一向に差し支えありません。それは、正教会の教会に対する考え方は、規則によって、教会生活の細々としたあらゆる側面を律して行こうとするものではないからです。教会法はいわばガードレールのようなもので、教会を導くものはあくまで主・ハリストスのみ言葉と聖神(せいしん・聖霊)の働きです。その時々の具体的な課題には、主教の指導と、聖神に導かれた会議によって対応してゆくのが基本です。ただ人間の弱さや勝手な考えで個々の教会や聖職者・信徒が間違った道に進んでしまわないよう、ガードレールとして規則を設けているのです。

教会の鏡

 このような大切な役割を担うと共に、教会法には初代教会の体験が色濃く反映され、教会とは本来どのようなものであったのか、あらねばならないのかを知る貴重な資料も提供してくれます。たとえば、領聖について次のような規定があります。
 「聖職者・教衆・一般信徒で緊急の事故もしくは教会から禁止されている場合以外で、府内(属する教会の管轄区内)にいながら、三週間続けて日曜日に聖堂の集いに来ない者は教衆はその役をとかれ、一般信徒は親与をたたれなければならない(言うなれば破門されるということです・第6全地公会規則80条)」。
 「聖堂に入っても、人々と共に祈らずまた聖なる機密(ご聖体・血)を受けることを厭がる者は、懺悔して悔い改めたことを表し赦免されるまで、教会から親与を絶たれなければならない(使徒規則9条、アンティオキヤ公会規則2条)」。
 これらからも「畏れ多いのでご聖体はみだりに受けず年に2回大祭の時に受ければいい」というような一時世界の正教会に蔓延した考え方は、教会本来の信仰とは縁もゆかりも無いものだということ、そして教会の信仰が聖体礼儀(領聖)を中心にした信徒の愛の集いを軸にしていなければならないことが再確認できます。