§質問§

 カトリック信徒の友人と人間の死後の事について話していたら、「煉獄」という言 葉がよく出てきました。正教会では聞かない言葉ですが、そういえば西洋の文学や美 術のテーマに見受けられるようです。これは一体なんですか?

<答え>

死後の「罪の清め」の場所(カトリックの見解)

 ローマ・カトリック教会では死者の霊魂の行く所として、天国と地獄の他に「煉獄」があるとされます。生前の罪の「償い」が不十分だった人々の霊魂が、この煉獄の火の苦しみという「罰」により清められ、天国に迎えられるに足るものとされるというわけです。即ち、死後、罪の「償い」を完成させる特別の試練の場所です。

正教の見解「ラザロと金持ちの物語」

 正教会では一貫して人は生きている間に悔い改めない限り天国へは行けないと教えてきました。
 金持ちとラザロの物語(ルカ16:19〜31)を思い出してください。遊蕩に明け暮れ悔い改めずに死んだ金持ちは、地獄に落ちました。その苦しさに、天国にいる、生前は貧しい病人だったラザロに助けを求めた時、天国のアブラハムは「わたしたちとあなたがたとの間には大きな淵がおいてあって、こちらからあなたがたの方へ渡ろうと思ってもできないし、そちらからわたしたちの方へ越えてくることもできない」(ルカ16:26)と断りました。
 まさに、天国と地獄の間にあるのは越えがたい「大きな淵」のみであり、「煉獄」という「人工的な橋」は架かっていないのです。

「十字架の主の隣で悔改めた犯罪人」

 また、正教会は、その人の罪の大小に応じた「償い」がなければ天国に行けないとも教えません。必要なのは悔い改めて神の愛を信じ、委ねることです。イイススの隣で十字架につけられた犯罪者のひとりが、主の姿に悔い改め「天国で私を思いだしてください」と願った時、主は「よく言っておく。おまえは今日、私と一緒にパラダイスにいる」と救いを約束されました(ルカ23:39〜43)。彼は罪の償いなど何も求められず、またそれを行う事もできなかったはずです。正教会で善い行いが勧められるのは、罪の償いのためではなく、神への信仰・主ハリストスへの愛の「果実」としてです。

死者のための祈りのほんとうの意味

 では、悔い改めされず、不確かな信仰のまま永眠した者(聖人以外の大半の永眠者)はもう天国へは絶対に行けないのでしょうか。道はないのでしょうか…。
 そこで教会は神の「特別のおはからい」を「死者のための聖体礼儀」を第一とする諸祈祷を通じて祈るのです。永眠者を深く愛する私たち教会が、彼らのために、人を愛してやまない神さまに祈願します。神の愛に教会の愛をもって訴えかけます。そのためにも、教会はいつもご聖体により一致し、愛に活きづいていなければなりません。