§質問§

 神父さんは聖体礼儀には遅刻してはいけませんと、よく会報やお話で訴えておられ ますが、全然参祷しないよりは遅れてでもお祈りに出たほうがいいのではないでしょ うか?

<答え>
 聖体機密での領聖はハリストスのお体と血という私たちが真の人生を生きて行くのに欠かせない「日毎の糧」をいただく神の国の宴(うたげ)です。聖体礼儀はそこへ向かって昇って行く乗り物と言ってもいいかもしれません。そこに乗り合わせる者は、最初に、招いて下さった神に罪を告白し、またお互いに和解し、この旅にふさわしい平安を確かめ合います。これが聖体礼儀の前に行われる痛梅機密の意味です。

 その準備が整ったらいよいよ出発です。最初の厳かな「父と子と聖神(聖霊)の国はあがめ讃(ほ)めらる、今もいつも世世に」という司祭の高声(唱え)は旅の目的地が「父と子と聖神(せいしん)の国」即ち神の国であると告げ、おもむろに乗り物は上昇を開始します。もうお分かりでしょう、聖体礼儀に遅れる事は、この乗り物に乗り遅れるという事です。ですから、「遅刻しないように」は杓子定規な規則ではなく、「そうしないと乗り遅れてしまいますよ、神の国の宴の完全な味わい・喜びが得られませんよ、その喜びをぜひ皆で一人ももれる事なく分かち合いましょう」という教会の愛の呼びかけを、司祭が代表して言っているのです。

 ただ、やむを得ない事情で遅れる場合ですが、遅れてでも主のもとに駆けつけたいという、「主への愛」の切実さを主は喜ばないはずはありません。普通、出発しかけたバスを「お−い」と必死で追い駆けてくる人を振り切って走ってはいきません。間にあって良かったと乗客一同ほっとします。もし、遅刻しないようにと言う訴えの意味が充分に伝わらず、遅刻したらもうその日は参祷できないと誤解されたなら、私(司祭)の未熟さ故の誤りです。心からお詫び申し上げます。
 何が「やむを得ない事情」かは信徒各人が神様に問いかけるべき事です。