§質問§

 「ものいみ」って何ですか?お肉を食べてはいけない期間という風に聞いたんです けど…、それって、あれを食べてはいけない、これをしちゃいけないというイイスス が批判した「律法主義」への逆戻りではないんですか?

<答え>

「斎(ものいみ)」とは
 「斎」は一定の日や期間、特定の食べ物を食べないこと、ないしは完全に断食することです。程度は様々ですが主に動物性食品と酒が断たれます。毎週水金の他に、聖使徒ペートル・パウェル祭(7/12)、生神女就寝祭(8/28)、降誕祭(1/7、日本教会では新暦12/25)の前に心と体の準備として、特別に一定期間設けられます。なかでも重要なものが「祭りの祭り」復活大祭の前の「大斎(おおものいみ)」です。

斎の目的
 斎の目的は、欲望や情念に栄養を与え、それらをかき立てがちな食品を節制し、祭りの喜びへと心の感受性を高めることです。宗教的な感受性の高揚のために節制や断食が有効であるという知恵を、キリスト教も他の伝統的大宗教と共有しているのです。しかし、キリスト教に固有のもう一つの目的があります。人を痛悔と悔い改めに導くということです。カリストス主教は次のように言っています(「三歌斎経」英語版序文)。

 「斎の根本的な目的は、我々に『神への依存』を教えることである。もし真面目に取り組めば、斎はかなりの空腹感、疲労感をもたらす。これは『砕けた心』としての痛悔へと我々を導く。すなわち『私を離れてはあなたがたは何一つできない(イオアン15:5)』と告げたハリストスに満ちあふれる力を体験させる。我々は、いつも満腹しているなら、間違った意味の自主性と自己満足に陥り、簡単にうぬぼれてしまう。斎はこの罪深い自己満足を根底から覆す。…空腹と疲労の目的は、我々を『心の貧しい者』(マタイ5:3)にし、神の助けなしには我々は全く無力だということに気づかせることだ」。

律法主義とは正反対
 斎のこのような目的を知れば、掟をきちんと守る事が人の「正しさ」の条件とする「律法主義」とは無縁であることがわかります。ただ律法主義的に誤解される危険は残ります。そこから、大斎の前の「準備週間」の第1主日に、律法を守れた事に自己満足するファリサイ人の祈りではなく、自分の罪に打ちひしがれ、神の前に目も上げられないと、ただひたすら胸を打つ税吏の祈りが神に祝福された、「税吏とファリセイ」の物語(ルカ18章)が読まれます。