祈りに興じる  至聖三者聖セルギイ修道院

2002年2月末から3月始めにかけて、名古屋教会司祭は
モスクワ郊外の至聖三者聖セルギイ修道院へ単身研修派遣されました。
教団機関誌「正教時報」に掲載されたレポートをご紹介します。
正教の奉神礼的生活の一端にでも触れていただければ幸いです。


 伝統には誰でも近づくことができます。伝えられてきたものを忠実に再現することは根気さえあれば、いずれ誰にでも可能となります。幼い時から修行に励んでいれば、私だって今頃はいっぱしの職人でしょう。
 しかし芸術にせよ、思想にせよ、生き方にせよ独自の新しい世界を創り出すのは誰にでも可能なことではありません。創造的という悪魔的な言葉にとりつかれ、どれほど多くの人々が人生を空費してしまったことでしょう。
 生きること、そして日々の生活には安定したかたちが必要です。まずそのかたちを生活の律動の中で、共に生きる人々と分かち合うことが、生きることの喜びや楽しさへの誰にでも開かれた入り口です。私たちの不幸はそのかたちを失ってしまったことです。

 二月末から三月始めにかけ十日間、モスクワから数十キロ北にある至聖三者・聖セルギイ大修道院で過ごしました。七百年近い歴史を持つ、つねにロシア正教会の中心にあった修道院です。巡礼者や観光客への活発な対応へのいそがしさという外皮をはぎ取れば、「伝統」といったら他にどこで探せるのかというほど伝統的な暮らしがそこにあります。
 朝の五時半、聖セルギイの不朽体を前にした聖人への感謝祷から始まり、徹夜祷が永眠修道士たちへのリティアで終わる夜八時近く(日曜は徹夜祷が長く九時頃)まで、奉神礼を中心にした生活が毎日厳格に繰り返されます。修道院側から丁重にも立派なゲストルームを提供されたため体験できませんでしたが、おそらく修道士たちの修室でも祈りや労働を中心にした伝統的な生活が規則正しく実践されていることでしょう。鈴の音で始まり、聖人伝の誦読の内に「着々と」進む大食堂での食事にその片鱗をかいま見たと言えるかもしれませんが。(写真は聖セルギイの不朽体が安置されている至聖三者聖堂)
 しかし、そこでは、伝えられたかたちに縛り付けられ、凍り付いてしまった人々は見受けませんでした。もちろん勝手気ままな無秩序な生活があるのでもありません。伝統やかたちがあるがゆえに人々は逆に解き放たれているとでも申しましょうか。

 滞在二日目の日曜、見事な英語を話す修道女で、私のために大修道院内の案内をしてくれたセルゲイア姉に、「これが鐘楼です」とうながされたとき、何の気なしに自分が神学生時代にニコライ堂で鐘を打っていたことを話しました。すると彼女は一人の修道司祭を引っ張ってきて「こんな訳だから夕方の打鐘の際にゲオルギイ神父を鐘楼に案内してやって欲しい」と頼んでくれました。その修道司祭コルニリイ神父は相好をくずして、繰り返し「四時四十五分だよ」と念押ししました。(写真は修道士たちの僧坊の建物)
 約束の時間に行くと、すでに鐘楼へ招かれた巡礼者や子供たち十数人に囲まれて、こぼれるような笑顔のコルニリイ神父が待っていました。「こんなよいものを、こんなにたくさんの人たちに見せてあげられて、今日はなんてステキな日なんだろう」と言わんばかりです。手を取り合い、ひげ面で抱き合うや、ただちに出発です。工事中の場所もあり足場も悪い(危険と言った方が正確)階段を、弾むようにのぼっていく神父について、数分かかってようやく鐘楼に着きました。息切れでしばらく声も出ません。すでに若い修道士が大鐘を打っています。眼下には大修道院が隅々まで見下ろせます。大修道院をとりかこむ門前町、人口五万人ほどのセルギエフ・パッサードの市街の向こう側は、森や教会の金色の丸屋根が散見されるだけの大雪原です。そのはるか彼方では、もう灰色の空と雪原との区別はできません。(写真はコルニリイ神父)

 もう一人の修道士が時計をちらっと見て、大小の鐘が十数個並んでいる場所に上がり、規則正しい大鐘のテンポに滑り込むように幾つもの鐘を軽やかに奏ではじめました。修道士は大雪原の彼方を見つめながら、胸を張り、両手両足を繰って華やかに、力強く、そして繊細に複雑な響きを打ち鳴らします。その時、私は彼の姿に、伝えられた生活と伝えられた祈りのかたちに「興じる」幸福な人間を見たような気がしました。すぐにその姿は、日本なら「もし事故でもあったら誰が責任をとるんだ」としか誰も考えないような、ブリキの切れっ端や木っ端が散在した鐘楼への階段を、「ここは危ない」「あそこは気をつけて」とにこにこしながら私たちを引率していったコルニリイ神父の姿にも重なりました。さらに身振り手振りよろしく、流ちょうな英語でこの大修道院の聖なる歴史や無数の聖遺物を紹介してくれた、知的でしなやかな、ユーモアあふれるセルゲイヤ姉にもそのイメージはつながっていきました。彼女には修道女という言葉で連想しがちな「思い詰めた敬虔ぶり」など気配にもありませんでした。
 修道院での十日間は、このような連綿と伝えられてきた祈りの生活に「興じる」人たちの発見の日々だったとも言えるでしょう。

 鐘楼から大急ぎで向かった、二千人は収容できるかと思われるセルゲイ聖堂ではすでに晩祷が始まっていました。修道士たちは立っていたり座っていたり。誰かが立ち上がれば、他の誰かが座るということもあります。それをいちいち咎める人など一人もいません。
 朗々とスティヒラの句を読み上げる司祭も、それに答えて交互に唱う左右の聖歌隊も「楽しそう」なこと。神学生や神科大学の学生たちに修道士も混じる若さみなぎる聖歌隊です。互いに競い合う様子が手に取るように伝わります。自分たちの部分を元気よく歌い終えると、それを聞いていた向かい側の聖歌隊に向かい「どんなもんだ」とガッツポーズさえ送りかねない張り切りようです。
 宝座への接吻のために至聖所へ入ると、ポリエレイに備えて司祭たちが金色の祭服をまとって待っています。若い司祭たちが挨拶に来て、「こんなよい所へ、遠いところからまあ、よく来たじゃないか」…そう言っているかのように、ぎゅっと手を握り、ガバッと頬を寄せ、ひしと抱きしめてきます。高座の長いすに座っているミトラをかぶった年輩の高位司祭たちは、なにやら楽しげに小声で頷き合いながら、豊かな白い髭をしごいていたりします。恰幅のよい掌院とおぼしき神父が私に目をとめ、歩み寄ってきてロシア語で話しかけました。多分名前を聞かれたのだろうと「ゲオルギイ」と答えると、至聖所の奥からエピタラヒリとフェロンを持ってきて「アチェツ・ゲオルギイ。ポリエレイ(だから祭服を着なさい)」と差し出してくれました。その時のゆったりと包み込むような笑顔にほっとしたこと。やはり相当緊張していましたから。
 そんな至聖所内には、「今日も神さまを美しい祈りで讃えさせていただける」といった、子供っぽいとも言えるナイーブな期待感が溢れています。ここにも伝えられた祈りの生活に「興じる」人たちがいました。

 しかしもっと印象的だったのは、ポリエレイを終えて聖所に戻ったときでした。イコノスタスの前に置かれた幾つもの燭台のローソクをうやうやしく世話している初老の修道士がいます。短くなったものを燭台のすぐ下に置いてある箱から長いものに取り替え、となりのローソクの熱で曲がったものは、引き抜いて、冷ましながら、ゆっくり何回かしごき真っ直ぐにのばして差しなおします。それを見ている私の視線に気づいたのか、彼はすっと胸を張り、こちらに顔を向け、口元に何とも言えない誇らかな笑みを浮かべました。次の日も、また次の日も修道院滞在中ずっとそれは変わりませんでした。これまでも、これからも同じでしょう。その誇らかさは、何ごとも上長に絶対服従して、従順に、謙遜に…、といった修道士の紋切り型のイメージでも、下積みの人たちにありがちな「俺はもう何十年この仕事を受け持ってきたんだ」といった押しつけがましいプライドとも違うものでした。やはり、祈りに「興じる」、その無条件のしあわせに自分も与れることへの喜びの表現でしょう。彼の仕事が聖歌隊やまして聖職者たちの華やかな仕事ではなかったのでなおさら、彼の誇らかさは、正教会が祈りを「奉神礼」、ギリシャ語でリトゥルギア、すなわち神の民の「仕事」と呼ぶ意味を実感させてくれるものでした。そういえば、四時間近く十字を切り叩拝する以外にはほとんど同じ場所で立ちつくすばかりの千人以上の会衆も、たとえ肉体は苦痛でも心では、仕事の一翼を担う者として「正教会の伝える『立って祈る』というかたち」に「興じて」いるのではないか、そんな思いすら浮かびました。

 例をあげればきりがありませんが、祈りに興じる人たちを他にもたくさん発見しました。奉神礼の場だけではなく、そこでは生活全体が祈りへの備えとして「祈りの生活」です。この大修道院全体が、祈りに、すなわち生活に興じているといってもよいでしょう。
 しかし、この発見は大修道院だけでのことではありませんでした。大修道院を辞して二日後、帰国の日の朝、モスクワの友人が通う教会の聖体礼儀に与りましたがも、そこにも祈りに興じる人たちがあふれていました。古い聖堂の修復作業に信徒が何年も協力を続けているという、内部に足場を組んだままのこの小さな教会も、やはり祈りに興じていました。

 しかし私は、「やっぱりロシアは…」と言いたくてこんなことを申し上げているのではないのです。
 帰国して三日目、充分に疲れが取れないままに立った名古屋教会の聖体礼儀、ここにもはやり「祈りに興じる」なつかしい仲間たちがあふれていました。尋ねてきた人が、なんと教会の門前から「道に迷ってしまいました」と携帯をかけてきたことがあるほどのつつましい会堂です。しかし、信徒全員が無事領聖した後、ポティールを掲げて堂内を見渡したとき、堂内全体が喜びで輝いていました。大修道院の聖体礼儀にあった喜び、モスクワの町の教会にあった同じ喜びが、ここにもありました。これまでにもあったし、これからもあり続けるでしょう。

 おそらく日本中の正教会で、小さな教会でも大きな教会でも、正教徒なら誰でも知っている、神さまの前に子供らしいキマジメさで奉神礼を献げさせていただける、言いかえれば祈りに興じさせていただける喜びがあふれているはずです。伝統的な正教国の教会にも、伝道教区の小さな集いにも、世界中の正教会に日曜日を待ち望む人たちの日曜日に向けた生活がいきづいているはずです。
 これこそハリストスを愛しその尊体血を分かち合う人々の集いに溢れている聖神が、私たちに贈ってくれる至福です。寒風吹き抜ける鐘楼でコルニリイ神父が、暗い聖堂内でローソク係の修道士が、あらためて、またハッキリと確かめさせてくれた至福です。
 

(大修道院は外敵から身を守るために、その広大な敷地をこのような壁で囲まれています)