正教会のお葬式

 日本人に最もなじみ深いお葬式はいわゆる「仏式」のお葬式でしょう。祭壇に置かれたお棺を前に、僧侶が仏教の深遠な真理を記したお経を唱え、死者に真理の「悟り」を促し、「成仏」させます。「仏」とは「悟った者」という意味です。人は真理を知らないから迷い苦しむとされます。だから真理を悟れば救われるというわけです。

 これに対しキリスト教のお葬式、特に私たち正教会のお葬式は「祈り」です。
 私たち人間はたとえ真理を知っていても、真理を生きられません。自己中心的な生き方で神に背き、神が人に与え、その限りない深まりへとお招きになる、いきいきとした神との交わりの生活を失ってしまったからです。そこで、神はご自身のひとり子 を人としてこの世に遣わしました。ハリストス(救世主キリスト)です。悔い改め、信じ、洗礼を受けて、人となった神・ハリストスの人間性を分かち合い、人ほんらいの生き方を回復する道がさしだされました。この救いへの招きに応えたのがクリスチャンです。しかし、神に向かう者を妨げようと躍起になる悪魔の誘惑はまだ神への道の途上にあり、以前の罪深さの影響をひきずる私たちに、洗礼の後も罪を犯させます。クリスチャンは神の赦しを信じ、何度でも悔い改め、何度でも立ち上がりますが、完成への途上でこの世を去らねばなりません。もはや自分の口、自分の体で神に祈り、人生の歩みの中で悔い改めの実りを生み出してゆくことはできません。

 そこで私たちは、「愛」である神に、神への愛をもって、永眠者への愛に突き動かされて、そして、教会という「愛の交わり」の中にあって、祈ります。どうか、私たちの愛する永眠者の罪を赦し、あなたのみもとにしばし安らわせ、やがて世の終わりに実現される永遠の神の国に、輝かしい肉体をもってよみがえらせ給えと。
 これが葬儀や記憶祭など、正教会が死者の為に行う礼拝の意味です。

 永眠者の眠る棺は、永眠者が私たちの愛の内から、神の愛へとゆだねられ、引き渡されることを象徴して、参会者の中央に、神の臨在を示す至聖所(外部会場ではハリストスの聖像や十字架が置かれる方向)へ向けて置かれます。棺は神の国への旅を安全に守る船です。
 また祈祷中、参会者は、十字架で殺されたハリストスが三日目にその初穂として示し、やがて私たち神を信じる者すべてが与ることになる永遠の生命への復活を象り、立って祈ります。手に持つローソクは私たちの心に灯された信仰と、私たちを導く光・ハリストスを表します。
 そして何より、参会者が一体となって祈ることを通じ、永眠者と私たちが、やがてそこによみがえり、そこで再び手を取りあい頬を寄せ合う、神の国の愛の集いへの希望を確かめ合います。